どうも!かずです!
先日、2018年4月5日にアニメ界の巨匠である映画監督、アニメーション演出家の高畑勲監督が82歳でお亡くなりになりました。
高畑勲監督の作品はどれも名作と言われていますね。
まさに巨匠と呼ぶにふさわしい方です。
「火垂るの墓」を幼少期に見て、衝撃的な印象を受けたのを今でも鮮明に覚えています。
幼少期の頃は単純にインパクトの強さで印象に残っていましたが、ある程度大人になってから見返してみると、人間が極限状態に陥るとどうなってしまうのかがとてもよく描かれていました。
自分のことで精一杯になってしまうと、ここまでやるのか。。ということまでやってしまうのが人間の本質のような気がして、恐怖したのを覚えています。
また、テレビの地上波では、4月13日金曜日「金曜ロードショー」(日テレ)で「火垂るの墓」放送も決定しております!
今回は、高畑勲監督の経歴や作品、地上波で放送予定の「火垂るの墓」のあらすじを紹介していきたいと思います!
それでは早速、見ていきましょう!
1.高畑勲監督の経歴や作品を紹介!
まずは、高畑勲監督の経歴を紹介していきます。
高畑勲監督はどんな人物だったのでしょうか?
高畑 勲(たかはた いさお、1935年10月29日 – 2018年4月5日)は、日本の映画監督、アニメーション演出家、プロデューサー、翻訳家。畑事務所代表、
公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団理事。日本大学芸術学部講師、学習院大学大学院人文科学研究科主任研究員などを歴任、紫綬褒章受章。
日本で週30分のテレビアニメが作り始められる以前に東映動画(現・東映アニメーション)に入社し数々の作品を手掛ける。
東映動画を離れた後に監督した世界名作劇場の三部作が広く親しまれ、スタジオジブリの長編映画で宮﨑駿と共にその名を知られる。
類型化された抽象的ファンタジーで喜怒哀楽が極端だったアニメに、悲しいのに笑っているなど中間的な演技表現を持ち込み、社会生活背景・自然環境・地理的条件などを徹底的に取材・調査した上で人間が生々しく生活しているような臨場感を描いた。
背景美術とキャラクターが一体化し、一つの絵画のように動くことも含め常に類型無く新しいことに挑戦し続け、世界のアニメーションを革新した。
ふだんの日常生活にこそ、驚きや喜び、奇跡があるという姿勢や哲学をすべての作品で貫き、日本のアニメーションの方向性を大きく変えた。
(wikipediaからの引用)
こちらの経歴からもわかるように、高畑勲監督は、日本のアニメ界に革新をもたらした方です!
私はアニメを見るのが好きなのですが、普段の日常生活をアニメに取り入れることを初めて行ったのが高畑勲監督です!
今日のアニメ文化の生みの親と言っても過言ではありませんね。
続いて作品を紹介していきます!
・ 未来少年コナン
・ フランダースの犬
・ アルプスの少女ハイジ
・ 母をたずねて三千里
・ 魔女の宅急便
・ 天空の城 ラピュタ
・ ルパン三世
・ じゃりン子チエ
・ 赤毛のアン
・ 平成狸合戦ぽんぽこ
・ おもひでぽろぽろ
・ かぐや姫の物語
このようにリストアップしてみると、本当に有名な作品ばかりですね。。
日本のアニメ界にどれほどの功績を残されたのか、というのがこれでもかとわかりますね。
2.高畑勲監督追悼作品火垂るの墓のあらすじ
続いて、高畑勲監督の代表作といっても過言ではない「火垂るの墓」が4月13日金曜日「金曜ロードショー」(日テレ)で放送されるということで、あらすじを見ていきたいと思います!
1945年(昭和20年)9月21日、清太は省線(現在のJR東海道本線(通称・JR神戸線))三ノ宮駅構内で衰弱死した。
清太の所持品は錆びたドロップ缶。その中には妹・節子の小さな骨片が入っていた。駅員がドロップ缶を見つけ、無造作に草むらへ放り投げる。地面に落ちた缶からこぼれ落ちた遺骨のまわりに蛍がひとしきり飛び交い、やがて静まる。
太平洋戦争末期、兵庫県武庫郡御影町(現在の神戸市東灘区)に住んでいた4歳の節子とその兄である14歳の清太は6月5日の神戸大空襲で母も家も失い、父の従兄弟の嫁で今は未亡人である兵庫県西宮市の親戚の家に身を寄せることになる。
最初のうちは順調だった共同生活も戦争が進むにつれて、二人を邪魔扱いする説教くさい叔母との諍いが絶えなくなっていった。
居心地が悪くなった清太は節子を連れて家を出ることを決心し、近くの満池谷町の貯水池のほとりにある防空壕の中で暮らし始めるが、配給は途切れがちになり、情報や近所付き合いもないために思うように食料が得られず、節子は徐々に栄養失調で弱っていった。
清太は畑から野菜を盗んだり、空襲で無人となった人家から火事場泥棒し、時には見つかり殴られた上に派出所に突き出されながらも飢えをしのいだ。
ある日、川辺で倒れている節子を発見した清太は、病院に連れていくも医者に「滋養を付けるしかない」と言われたため、銀行から貯金を下ろして食料の調達に走る最中に日本が降伏して戦争は終わったことを知った。
清太は日本が敗戦し、父の所属する連合艦隊も壊滅したと聞かされショックを受ける。
節子に食べ物を食べさせるものの既に手遅れで、節子は終戦から7日後の8月22日に短い生涯を閉じた。
節子を荼毘に付した後、清太は防空壕を去る。
その清太もまた栄養失調に侵されており、身寄りも無いため三ノ宮駅に寝起きする戦災孤児の一人として野垂れ死んだ。
清太は他の2、30体の死体と共に荼毘に付され、無縁仏として納骨堂へ収められた。
こちらの作品は日本の戦時中の様子を描いた作品で、かつて日本で実際に行われていた「戦争」がどういうものかをまざまざと見せつけられます。
前述しましたが。私がこの作品を初めて見たのは小学生の頃でしたが、あまりのショックで泣いてしまった記憶があります。
それほどまでにインパクトが大きなものでした。
実写では表現出来ないような光景をアニメで表せるようになったということが
何よりもすごいことだなと今では思います。
金曜ロードショーで、火垂るの墓が放送されるということで、私も久々にしっかりとみようと思います!
考え方が変わった今では、昔とは違った印象を受けることもあるかと思うので、
真剣に見たいと思っています。
3.まとめ
今回は、高畑勲監督の経歴や功績、地上波で放送される火垂るの墓についての記事を書いてきました。
この記事を書いていて思ったことは、日本の宝がまたひとりこの世を去ってしまったことが残念でならないということです。
心よりお悔やみを申し上げます。
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