どうも!かずです!
今回は、常田富士男さんが死去された記事を書いていきたいと思います。
テレビアニメで有名な『まんが日本昔ばなし』の語り手で、よく知られている、俳優の常田富士男さんが、18日に脳内出血の為、81歳で、都内の病院で亡くなられていた事が、分かりました。
アテレコで、有名な「まんが日本昔ばなし」やラピュタがありますが、これまでの、俳優としての代表作、亡くなられた病気のこと、息子さんも俳優の道を進まれていることについて、調査して行きます!
1.常田富士男さん死去!まんが日本昔ばなしやラピュタで有名に!
常田富士男さんの簡単なプロフィールを紹介します!
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生年月日:1937年(昭和12年)1月30日
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出身地:長野県下高井群上木島村
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ジャンル:テレビドラマ、映画、舞台、アニメ
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活動期間:1960年代~2018年
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活動内容:1969年に劇団青年劇場結成など
出演された主な作品は
テレビドラマは、『バス通り裏』、『源義経』、『高原へいらっしゃい』です。
バラエティー番組などは、『巨泉・前武のゲバゲバ90分!!』です。
アテレコは、『まんが日本昔ばなし』や『らぴゆた』です。
常田さんは、高校卒業後から、俳優を志して、黒澤明監督の『赤ひげ』とか、今村昌平監督の『檜山節考』とか、『うなぎ』などの、沢山の作品に、存在感のある、脇役として出演されました。
約20年間放送されました『まんが日本昔ばなし』の語り手で、市原悦子さん〈82歳〉と2人で、されたのでした。
2.常田富士男さんの死因は病気?
常田富士男さんは、数か月前に脳出血で倒れて、わずかな日数の入院生活をされただけで、死去されました。
今月の7月18日に、都内の病院で脳出血によって81歳で死去されました。
子供の頃の思い出が1つ、終わってしまうのは何とも言えない悲しい出来事ですね。
3.息子も俳優の道に!
常田富士男さんの息子さんは、倉崎青児さんと、いいます。
倉崎青児さんは、1960年2月17日生まれです。常田富士男さんは1937年生まれですから、かなり早い内に子供が出来ていたようですね。
テレビドラマや映画に出演される俳優さんです。
主な作品では、
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テレビドラマは、なつちゃんの写真館(1980年にNHK)
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銭形平治第23話(1987年に日本テレビ)
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堀の中の懲りない面々(1988年にTBS)
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月曜ミステリー劇場「弁護士猪狩文助1の時の剣」(2001年にTBS)
に、永井和己役で出ています。
映画では、
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ヘレンケラーを知っていますか(2005年):佐々木先生役
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実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(2007年):松本礼二役
この様に、息子さんの倉崎青児さんは、現在は俳優さんとして、全く仕事はされていないのが、現状です。
なので、倉崎青児さんの、現在の状況は、不明です。
ネット上の噂としては。会社員をやっている、劇団で活躍をされているというものが上がってきていました!
4.まとめ
常田富士男さんは、1975年から1995年まで、20年間まで長きに渡って、「まんが日本昔ばなし」のナレーションを務められました。
その後も、声優さんとして、いろいろなアニメで、活躍されて、多くの賞を受賞されました。現在までには、「天空の城ラピュタ」なども声優を務められて、最近までしっかりと、元気で活躍されていました。
映画でも活躍されていて、長男の「倉崎青児」さんも、俳優さんとして、活躍されていたのです。
今回、常田富士男さんが、亡くなられたので、喪主は、長男の青児さんが、務められるそうです。
葬儀と、告別式は、近親者のみで行われるようですが、会場の外では、多くのファンの人達が、詰めかけるでしょう。
子供の頃、耳に残っている声と言ったら、人気アニメシリーズの「まんが日本昔ばなし」の、常田富士男さんの声なのではないでしょうか。
昔から現在までの、多くの子供たちの耳の恋人であった、常田富士男さんですが、7月18日に死去されたのでした。ご冥福をお祈りしましょう。
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